戸田の杜クリニック 院長&スタッフブログ

何度目かの「北の国から」

ケーブルTVで「北の国から」を視ています。もう何度目になるのかわかりませんが・・・

番組が始まったころの純君、ほたるちゃんが小さかった当時、僕は大学生でド田舎から出てきた僕があえてド田舎で苦労する黒板家の苦労話を見ることはないな、と思い敬遠していました。

僕は一流の心臓血管外科医になることをめざし、卒後国立循環器病センターや筑波メディカルセンター病院、神奈川県立こども医療センターなどの名だたる病院で修行を積み、卒後12年経ったところで、心臓血管外科医としてほぼ一人前となり、医学博士も取得し埼玉医大(当時第一外科という医局員100人超の大講座でした)に当時心臓外科医としては日本で最年少の講師として赴任し、その直後に結婚しました。

結婚して間もなく長女を授かりました。バリバリの若手の心臓外科医として手術、研究と学会活動、学生や若手指導に忙殺され、我ながら八面六臂に世界中飛び回っていましたので、家事育児には可能な限り参加すればいいだろうという姿勢でした。

当然そのまま精進すれば教授職としてのゴールが見えてくれる状況でした。僕は多くの心臓血管外科医を自分で育てる立場になることが夢でしたので、そういった人生設計のなか、自分の目標達成がそのまま家族に幸せに直結すると(今思えば傲慢ながら)思っていました。

そんなころにふと特集版で北の国からに出会いました。そして昔の話から見直してみることにしたわけです。

黒板五郎さん(田中邦衛さん)は東京で奥さんが浮気し逃げられて、故郷の富良野に子供二人を連れて傷心の帰郷をするわけですが、不器用なまでに一所懸命生き、子供たちにも真正面からぶつかっていきました。電気や水道もない中でのスタートですので何から何まで自分で切り開いていかないといけないわけです。都会育ちの子どもたちもとまどい→反発→あきらめの境地から徐々に田舎の子どもとして成長していきます。

勧善懲悪や成功譚の物語ではなく、子役たちの実際の成長の時間軸と並行して黒板家の変遷も進むわけです。

僕はとにかく五郎さんの姿勢に心打たれました。社会的には評価される立場にはいないけど、周りの人たちは彼の一生懸命に生きるひたむきな姿と、温和な性質に驚かされることはあっても白い目で見ることはありません。

なんとしても家族を守る。一生懸命生きる。

彼の場合、それしかできないからやむを得ずそういう生き方をしたのかもしれないし、ドラマの中の話ではあるのだけど、とにかくかっこいいと思いました。いままでで一番好きな場面は、①吹雪の中雪下ろしをしていて屋根から転落し雪に埋まってしまい、凍死寸前になりながらマッチや廃材を燃やし生き延びた時と、②ほたるちゃんが前の恋人との間に子どもができた時正吉君が結婚を申し込むため100万本のバラにたとえた花を運び続きけたはなし、③純君の恋人の漁師義父(唐十郎さん)がこっそり五郎さんを訪ねて一夜を語り明かし、この人の息子なら息子の嫁の再婚相手として認められるはなし、です。

さて、僕の話ですが、結婚翌年は月の半分は夜に緊急手術で呼び出されそのまま泊まり、学会発表に年20回くらい行って、業績にはなるけど費用はほぼ持ち出しでした。家族を慮る余裕はさすがにわずかしかありませんでした。

多忙でボロボロになった家族を再構築するためいったん大学を離れボストンに留学したのも、そういったなかでの出来事です。あえて行かせてもらいました。研究をしながらではありましたが、日本にいた時よりはるかに家族と過ごす時間がとれ、一家離散の危機は乗り越えられました。

帰国してからも、いろいろな大学からの赴任の誘いはありましたが最終的には今の路線に到達したわけです。

息子とたまにお父さんにとってどっちの道がよかったんだろうね、と話し合います。こんな話ができるくらい成長したのも五郎さんのご利益があったからかもしれません。