戸田の杜クリニック 院長&スタッフブログ

死を受け入れるための涙

以前何度か書いたことですが、僕の母は24年前、父と一緒にアメリカ旅行をしていた際にワシントン国際空港で倒れ、心肺蘇生後救急搬送され結局そのまま亡くなりました。

当時神奈川県立こども医療センターでこどもの心臓外科医であった僕は、連絡のあったその時は兵庫県伊丹市での日本小児外科学会での発表のため会場にいました。父からの国際電話で状況を聞き、「このままだめかもしれない」という父の言葉に学会をキャンセルし、急いでチケットを購入し関西国際空港から姉と一緒にアメリカに向かいました。

病院はケネディ元大統領などが眠るワシントン郊外のアーリントン墓地のすぐ隣にありました。憔悴した父を慰め、担当医に説明を聞いたのちに人工呼吸器に繋がれた母と面会しました。自分で確かめると瞳孔は散大し、対光反射も消失した状態でした。蘇生後低酸素脳症で痙攣もでまくっていました。痙攣のためそもそも倒れた原因検索のためのCTすら撮れなかったようです。人工呼吸管理下酸素100%でPaO2 60mmHgくらいの肺の状態だし。

担当医に“It is no use to prolong her life in such a severe situation.‘’と言うと彼も同意し、父や同行した姉と相談し、お母さんはこういう事態になったときの延命処置は望んでいなかったね、との見解で一致し人工呼吸器を外してもらうことにしました。呼吸器を外すと最後の一呼吸をした後に母は64年の生涯を終えました。

葬儀社の人にエンバーミング処置(血液を腐敗防止液に入れ替える)をされたのちアメリカ風の化粧が施され教会で簡単な式が執り行われました。

当然のことながら我が家は曹洞宗の檀家総代の家系なので異教ではありますが、まあアメリカで亡くなったものはしょうがない。現地で簡易的に弔いの儀を行い、遺体を飛行機に乗せて日本に帰ってきました。

成田空港で日本の葬儀社に担当が変わるのですが、棺桶も化粧もアメリカ風なのでそこで和風のものにすべて交換です。和風のお化粧は姉が施していました。

その後は、石巻(当時は桃生郡河南町広渕)まで連れて帰り、新たに葬送の儀式が執り行われました。

僕はその時までは、家族を代表する長男として気丈に振舞わなくてはいけないとの思いから、涙を一切見せませんでした。

石巻ではお通夜→火葬→告別式、といった順番を取ります。

火葬に向かう前に、棺桶に皆で石を使い釘を打ち込むという儀式があるのですが、このとき急に涙が込み上げて止まらなくなりました。そのまま号泣が続き、火葬が終わるまで1時間以上泣き続けました。

その涙でようやく母の死が本当の意味で僕の心の奥底で受け入れられたのでしょう。そういった心の洗浄は、人生の次の段階に進むためには少なくとも僕には必要かつ大切だったなと思っています。

葬儀に参列していた、昨日もブログに出てきた衆議院議員(当時は当選前)の安住淳君がその日のうちに妻との縁を取り持ってくれたこともすでに何度も書きましたね。

今日言いたかったのは「死を受け入れるための涙」のことです。

最近は年取って、ちょっとしたことでも涙もろくなってしまいましたが(笑)